那須川天心と父親の関係 戦績と過去の試合を振り返ってみる

キックボクシング

キックボクシング界では、以前から注目されていた那須川天心です。

その那須川天心が、世間一般に知られるきっかけとなったのは、地上波のテレビ『RIZIN』での試合でした。

インターネットの普及がだいぶ進んだとはいえ、やはり地上波の影響は、まだかなり大きいといえます。

 

2016年12月29日、那須川天心はキックボクサーではなく、総合格闘家としてRIZINのリングに立ちました。
RIZINは基本的には、総合格闘技で戦う場です。

那須川サイドしては、キックボクサーとしてリングに立ちたかったのですが、RIZINからのオファーは総合格闘技での出場でした。

 

今回、那須川天心をここまで育て上げた、父親との関係について調べてみました。
また、ポイントとなった過去の試合について取り上げてみます。

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那須川天心と父親の関係

那須川天心を語る上で、父親である那須川弘幸氏のことを抜きには語れません。

 

卓球の愛ちゃんが、幼児期から泣きながら卓球をしていたのは、有名な話です。

愛ちゃんは幼児期に、お父さんやお母さんが卓球をする環境を(半ば?)強制的に与えていたからこそ、オリンピックや世界選手権で活躍する選手に育ったのです。

 

同様に、那須川天心も5歳の時から、父親に強制的に空手道場に連れていかれ、空手道を習わされました。
那須川天心はその当時のことを振り返って、「嫌で嫌で、よく逃げ出した」言っています

また、父親から受けるプレッシャーに対して、「タイトルマッチや大舞台の試合の重圧ですら、父親のプレッシャーと比べたら大したことはない」と言うほどです。

相当厳しい父親像が目に浮かびますが、この辺は、実の父親だからこそできる教育ともいえます。
ただ、私にも3人の子供がいますが、正直まねることはできません。

この子にして、この親といえるでしょう。

 

他にもこんなエピソードがあります。

「ナンバーワンを目指すんだから、これくらいやらなきゃダメだろ」と、天心が小学1年生の時から練習メニューを渡して、弘幸氏は自分の仕事(内装業)に行っていたといいます。

天心は学校が終わると友達と遊びもせず、すぐ帰宅してメニューをこなしていました。

 

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那須川天心の戦績

那須川天心のプロになってからの戦績は、キックボクシング26戦26勝、MMA5戦5勝(ミクスドルール含)で、2018年6月現在負けなしです。

プロデビュー戦を含めて、ポイントとなるいくつかの試合を振り返ってみます。

 

デビュー前

那須川天心は、松戸南高校の定時制に通って、4年間で高校を卒業しています。

これは留年したからではなく、午前の部に籍をおいていたので、最初から4年間通うことになっていたためです。

なぜこの環境を選択したかというと、出稽古先の一つだったキックボクシングジム『TARGET』のプロの練習が、午後1時からの開始時間だったからです。

プロとしてやっていくために、それに適した高校を選択した結果でした。

 

注目されていたとはいえ、結構うまいアマチュア選手というレベルだった那須川天心が、『TARGET』の伊藤隆会長の指導で、相手を倒すプロの打撃を覚えていきました。

 

当初プロデビューは、「体ができて、高校2年生くらい」を想定していたと、那須川弘幸氏は言います。

ところがちょうどタイミング的に『RISE』の100回記念大会が開催されるということもあり、高校1年生の7月にデビュー戦が決まりました。

『RISE』というのは、伊東隆氏がプロデュースしているキックボクシングの興行です。

 

プロデビュー・ 有松朝戦(2014.7.12)

プロデビュー戦の相手は、RISEバンタム級7位の有松朝選手でした。

高校1年生のプロのデビュー戦が、いきなりランキングの選手というところに、那須川天心への評価と期待の大きさが感じられます。

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ちょっとこの動画は小さくて見えずらいですが、試合が始まってすぐに有松朝選手が右ローキックを蹴ってきます。

この時、天心は有松のローキックの軌道がよく見えたといいます。
更に、蹴った際に有松の右のガードがかなり下がっているのが、確認できたと言っていました。

天心が左ミドルを出し、有松が再度右ローキックを蹴ってきた時には、狙いすました天心の左ストレートが有松の顔面をとらえ、ダウンを奪いました。

動画をもう一度見て、一連の動きを確かめてみて下さい。

それ以降は一方的に攻め、最後は左ハイキックで、KO勝ちをおさめました。 デビュー戦、開始から10秒で、相手の技を見切っての勝利です。

 

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村越優汰戦(2015.5.31)

プロデビューから6戦目に天心は、はやくもチャンピョンへの挑戦をものにしました。

相手は、RISEバンタム級王者の村越優汰です。

 

村越優汰は、この試合から3年後の2018年6月17日におこなわれた、K-1の第2代フェザー級王座決定トーナメントで、みごと優勝した選手です。

この試合は、初めてのタイトルマッチ挑戦であり、また初めての5Rマッチでした。

更にはこの試合から初めて、矢沢永吉の『止まらないHa~Ha』を入場曲として使うようになりました。

天心自身は、前々からこの曲を入場曲として使いたかったのですが、父親から「お前はまだこの曲を使う器じゃない」と止められていたといいます。

 

では、村越優汰戦を観てみましょう。

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1Rの序盤は、天心のパンチのスピードに村越が戸惑っているのが見て取れます。

落ち着いた天心の試合運びは、本当にこれが初めてのタイトルマッチ挑戦かと思えてしまいます。

1Rの終了間際、村越の左ひざ蹴りに合わせて、天心の左フックが村越のあごをとらえて、ダウンを奪いました。
これは天心が得意としている攻撃で、村越戦でもひざ蹴りに合わせようと、考えていたといいます。

この勝利で、16歳高校生でのRISEバンタム級王者になってしまいました。

 

ワンチャローン戦(2016.12.5)

プロ17戦目に迎えた天心にとって、今までの対戦者の中で、最強の相手との試合です。

ワンチャローン・PKセンチャイジムは、タイのルンピニースタジアム認定スーパーフライ級王者です。

 

タイの現役チャンピョンということで、那須川陣営も相当な緊張感をもって試合にのぞんだであろうし、ファンもどこまで那須川が通用するのかかなり楽しみにしていました。

この試合は、天心がプロになって、初めての肘うちありルールでした。

 

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ワンチャローンをKOしたバックスピンキックは、とっさに出た技ということではありません。

実際試合中に、「天心、後ろ蹴りも入るぞ」(1:23頃)というセコンドの声も聞こえます。

 

この技は、ムエタイではあまり使われない技であり、ワンチャローンがサウスポーということで決まりやすいと考えた父親が指示して練習していたものです。

その為に、毎日100発のバックスピンキックを打ちこんだといいます。

この試合結果により、ムエタイの現役王者を倒したことで、天心の評価が格闘技関係者の間で、一気に跳ね上がりました。

 

(つづきは、後日)m(__)m

 

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